87-ゼツェッション館 Secession Exhibition Building (1897~98) J.M.Olbrich / Wien Austria No.1/21

正面外観
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ウィーン分離派は、絵画、彫刻、工芸、建築などを密接に結びつけ、総合芸術を目指しました。1897年若干30歳、無名だったオルブリッヒJosef Maria Olbrich (1867~1908) の提出した計画案が採択され1898年に竣工したこのゼツェッション館(分離派会館)は、未だアールヌヴォーの「装飾」を引きずってはいるものの、過去の束縛からの「分離」を標榜するに相応しい「構成」による建築の萌芽を見ることが出来ます。初代会長であった クリムト Gustav Klimt がスケッチしたパラディオのロトンダを模した草案に基づき、頂部に直径5mの月桂樹の球体を置き「構成」を明確に表現したものです。1945年第二次大戦の戦禍に遭い、戦後修復され、1980年代に当初の外観が復元され、内部は大幅に改築され今日に至ってます。
註:ドイツ語表記だと Sezession ゼツェッション、英語表記だと Secession セセッション、となりますが、ここではチャンポンに使っています。
by hirayama_susumu | 2008-06-07 12:27 | 87-Secession 館
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